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1984年の智弁学園

 投稿者:高校野球狂の一人  投稿日:2016年 4月 3日(日)20時15分43秒
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  2016年春の甲子園は智弁学園が初優勝で終わりました。奈良県勢としては1997年春の天理以来、四度目(春夏通算)の日本一となります。実を言うと私は今回のエース・村上を大会前から評価して「ベスト8は十分狙える」と予想しましたが、過去の甲子園からまさか優勝するとは思えませんでした(同校関係者&ファンの皆様すみません……)。

思えば1984年といえば、智弁学園が甲子園春夏連続出場しながら共に初戦敗退した年ですね。 1981・82年に二年連続で夏の甲子園開幕戦敗退でしたが、この年も春は甲子園初出場の拓大紅陵に大敗、夏は浜松商(上村敏正監督初登場だった)に7対0から大逆転負けを喫しました。その後も1985夏・1986春に初戦敗退で、上村恭生前監督(2006年没)が初登場した1989年夏にようやく校歌が流れました。大変失礼ながら、常連にも拘らず智弁学園にそれほど強いイメージが私になかったのは、1984年の記憶があるからでしょう。
 
 

1984年春の甲子園出場出場校「謎選出」(その3)

 投稿者:高校野球狂の一人  投稿日:2016年 3月19日(土)04時00分19秒
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  1984年春の甲子園出場校「謎選出」最終回は四国地区です。

現在では四国地区の一般枠は二枠のケースがほとんどですが(もっとも、近畿地区に次いで『二十一世紀枠』の恩恵を受けています……)、この時代は活躍していたことで四枠でした。この年は優勝の明徳義塾、準優勝の丸亀商、ベスト4の池田高校と松山商で地域性でもバランスが取れて、順当に選出されるはずでした。

ところが、池田高校(当時、第一期黄金時代だった……)が不祥事で推薦取り下げとなったことから、四番目の学校の選考が難しくなりました。普通ならば、丸亀商に善戦した伊野商(翌春日本一のナベトミや中妻が下級生だった)を代役にするのが常識的な選出ですが、何故か地区大会 不出場の徳島商となりました。「県大会準々決勝で池田高校と互角の試合をした」のと「チームが固まった十月以降の勝率が上回る」が理由ですが、「二十一世紀枠」も顔負けの「謎選出」と言うべきでしょう。実を言うと、私は池田高校が大嫌いで徳島商は好きなのですが、この時の甲子園出場だけは今月に至っても納得していません(後述の通り、一勝挙げましたが……)。

なお、「謎選出」の三校の甲子園成績は、

法政二……二回戦敗退(初戦快勝も地区大会で敗れた拓大紅陵に再び敗戦)
三国丘……初戦敗退
徳島商……二回戦敗退

又、理不尽に落選した学校では唯一、東海大甲府が同年夏の甲子園に出場出来ました。
 

1984年春の甲子園出場校「謎選出」(その2)

 投稿者:高校野球狂の一人  投稿日:2016年 3月15日(火)19時45分1秒
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  予告通り(?)、1984年春の甲子園出場校「謎選出」第二回です。今回は近畿地区について述べてみました。

現在でも近畿地区は六枠で単純計算すると夏の甲子園と同枠数ですが(近年は悪名高い『二十一世紀枠』の乱発で実質七枠?)、当時は正々堂々(?)と七枠でした。

1984年春は近畿優勝のPL(KKが新二年生)、準優勝の京都西、ベスト4の近大付と和歌山工は当確で、ベスト8の中から地域性を優先して智弁学園・神港学園・近江高島というのが有力でした。ところが、「ベスト4もPLに二度も大敗した」ことで近大付が落選し、近畿初戦敗退の三国丘が「二階級繰り上げ当選」しました。表向きの理由は「エース松田はPL桑田に次ぐ好投手」で、「府大会決勝でPLに0対1だった」でしたが、真相は三国丘が旧制堺中だったからと考えるべきだと思います(なお、同校は1928年春以来の甲子園出場となりました)。
 

1984年春の甲子園出場校「謎選出」(その1)

 投稿者:高校野球狂の一人  投稿日:2016年 3月13日(日)21時11分52秒
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  又々御無沙汰しております。
2016春の甲子園が丁度一週間後から始まりますが、今春は「勝負に出たからコールド負けも関係無し枠」(=市立和歌山商。あえて旧校名で)、「OBの選考委員二名によるゴリ押し枠」(=土佐高校)と、例年になく批判を集める代表校が目立ちます。もちろん、尾藤公・箕島元監督(2011年没)の思い付きで導入された悪名高い(笑)「二十一世紀枠」は言うまでもありませんが。

ところで、1984年春の甲子園出場校も思えば「謎選出」が目立ちましたね。今回から三回に渡って当時のことを書きたいと思います。

前置きが長くなりましたが、第一回は関東地区です。この時は関東優勝の取手第二(あの木内監督の前任校)、準優勝の茨城明野、ベスト4の拓大紅陵は確定も、ラスト一校(当時の関東地区は四枠)がかなりもめました。普通ならば拓大紅陵と同じベスト4の東海大甲府で決まりですが、準決勝コールド負けで落選しました(当時の山梨は弱小のイメージがあった)。そして、拓大紅陵に準々決勝サヨナラ負けした法政ニが選ばれました。表向きの理由はもう覚えていませんが、神奈川の春代表「空白区」阻止が目的だったことは間違いないと思います。本来ならば県一位の桐蔭学園(志村や大久保の代)が優先されるはずですが、関東準々決勝で東海大甲府に敗れたために、法政ニにお鉢が回ったということでしょう。
 

甲子園初出場祭り

 投稿者:高校野球狂の一人  投稿日:2015年11月22日(日)22時17分37秒
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  御無沙汰しています。2014年春の甲子園直前以来の投稿です。1984年春の甲子園といえば、代表三十二校のうち「春夏通じて初出場」が十三校もありました。その顔触れは、

  砂川北
  大船渡
  金足農
  拓大紅陵
  岩倉
  日大三島
  新津
  高島
  京都西
  神港学園
  近大福山
  多々良学園
  佐世保実

です(一部当時の校名でない学校もあります……)。この中では金足農、拓大紅陵、京都西、神港学園は後に常連となりましたが、新津、高島、多々良学園の三校はその後一度も甲子園出場がありません(大船渡もこの年の夏以来なし)。又、鵡川・佐藤茂富監督の前任校だった砂川北に至っては、廃校になってしまい残念です(砂川南に吸収合併。プロ野球の大阪近鉄バッファローズか?)。
 

鎮西高校

 投稿者:高校野球狂の一人  投稿日:2014年 3月16日(日)23時42分52秒
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  今春、二十四年ぶりに甲子園出場の鎮西高校も、1984年の高校野球で印象深いです。アンダースローの速球派右腕・松崎が夏の甲子園三回戦で、「同じアンダースローでも自分の方が球が速いから必ず勝つ」と試合前に豪語して、本当に法政一・岡野に投げ勝ったのは面白かったです。プロ(南海ホークス)でほとんど活躍出来なかったのが残念でした。思えば、鎮西は松崎以来甲子園で勝っていませんが……(ついでにユニフォームも変わったのが残念です)。  

史上初の開幕戦先頭打者本塁打

 投稿者:高校野球狂の一人  投稿日:2010年 2月14日(日)17時31分57秒
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  1984年の甲子園と言えば、本塁打が多かったことでも印象深いです。その中でも、神港学園・田中優嗣三塁手の本塁打は史上初、そして今のところ唯一の開幕戦先頭打者本塁打です。神港学園にとっても1984年春は甲子園初出場でしたが、春夏通算八回目の出場となる2010年春も何か印象深いことをやってくれそうな気がします。  

沖縄水産

 投稿者:高校野球狂の一人  投稿日:2009年12月31日(木)18時48分27秒
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  沖水こと沖縄水産が甲子園に初登場したのも、1984年のことですね。残念ながら栽監督は不祥事で謹慎中でしたが、その後の沖水黄金時代につながって行くのですから、これも忘れてはならないでしょう。99年以降の低迷は寂しい限りですが。  

浜松商・上村監督

 投稿者:高校野球狂の一人  投稿日:2009年12月29日(火)20時56分48秒
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  1984年と言えば、浜松商も忘れられません。当時は甲子園初戦三連敗の智弁学園とはいえ、0対7からの大逆転には驚かされました。思えば、上村監督(部長登録だが実質指揮をとっていた)の甲子園初登場でもあった年です。上村監督は今春、掛川西を98年夏以来の甲子園に復活させましたが、浜松商の2000年代の低迷は寂しいです。  

千葉県では

 投稿者:高校野球狂の一人  投稿日:2009年11月12日(木)21時39分45秒
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  1984年と言えば、我が千葉県では拓大紅陵が春夏連続甲子園の年でした。以後80年代は活躍しましたが、市立船橋の台頭期にぶつかった90年代以降、あまり活躍出来なくなって今日に至っていますね。  

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